
「介護は誰のため?」と聞かれると、まずもって介護を必要とする人がいるからこそであるわけで、誰のためかというと介護が必要な人のためというのは言うまでもないでしょう。
と、そんな当然の話がしたいわけではなく。
人間は一人で生きていくことはできませんよね。いくら身寄りのない天涯孤独の身だったとしても同僚や友人や地域コミュニティとの関わりは生きていく中に少なからずあり、よほど文明を一切排除した自給自足の生活でもしていない限り生きていくためのあらゆる活動に他人が関わっています。
もちろん介護に関しても介護される人一人で完結するものではありません。
今回焦点を当てるのは「介護を受ける人以外に”介護”が必要な人」です。
なんのこっちゃ?
介護というものを概念としてとらえたとき、それを必要とするのは介護を受ける本人だけではないのです。
まどろっこしい言い方をしてしまいましたが、つまり介護を受ける人以外に介護が必要な人とはすなわち要介護者に「介護をする人」です。これは要介護者の家族でもあり、様々な介護サービスを提供する介護事業者や職員のことでもあります。
いくら家族間で介護を完結させてデイサービスや訪問介護を使わないようにしたとしても、自宅介護において邸内の段差解消のための住宅改修や介護ベッドレンタルのための福祉用具の利用はほぼ必須と言えます。
これらを利用しないで自宅介護をするというのは不可能とまでは言いませんが、例えば布団の上でのおむつ交換なんて続けた日には一カ月もしないうちに腰が爆発四散します。そういった側面で介護=介護保険の利用という意味で捉えれば介護は家族のためと言い換えても差し支えないのではないでしょうか。
介護職員にとって介護が必要というのは、極端な話ですが介護がなければ職として成立しないため介護というものが必須であり、互いに一方がなければ成り立たない共存関係にあると言えます。
さらに、生活のために各種介護保険サービスを利用する家族にとっても介護職員は必要な存在であり、この点でもまた家族に介護が必要と言えます。
家族だからこそ
家族からしてみれば”〇年〇月から親族の介護が始まります。”と前もって、出来れば一年以上前にお知らせのひとつでも来ればいいのですが勿論そんなわけはなく、いきなり介護をする必要に差し迫られることがほとんどです。となるとそれまでの暮らしをそのまま継続させることは難しく、仕事や子育て、それまでの趣味や生活の仕方などを変えなくてはならなかったり、あらゆる面において負担が増えます。
これは誰のせいというわけでもなく、ダークマターから発生した謎の生命体というわけでもない限り人として生まれたからには親がいて、そのまた親がいて、と生物としての最小単位のコミュニティは避けることはできません。そして老化という避けられない運命を等しく背負った生物として介護はいつか・いつでも、誰にでも起こりえます。
介護する人もされる人も「ピンピンコロリ」が一番理想的であることはわかっちゃいるのですが、そんなことはいくら言っても詮無き事です。
家族にも介護は必要だ
申し述べた通り、いくら自宅介護を家族間でしたとしても介護保険の利用は可能な限りすべきですし、そのために高い介護保険料払っているんですから遠慮なく使うべきなのです。
そして介護をする家族の生活も守って安心して暮らすためならばデイサービスだろうが訪問介護だろうが、保険外サービスだって数多ある世の中なんですから利用できるものはいいように活用すべきです。
自宅で過ごすのはどうしても無理だと思うなら老人ホームの入所だってしていいんです。刑務所じゃあるまいし一度入ったら絶対に出られないなんてことはありません。やっぱり嫌だと思ったら老人ホームを出て家族のもとに戻ることだってできます。
だって介護される人もその家族も辛い気持ちを抱えて過ごしたって良いことはないし、もし要介護者が最後まで自宅にいたいと願うならそれこそお互いに離れる時間だって必要です。
子供だって24時間親と離れずに過ごす時期はほんの数年しかありません。幼稚園に通い始めればその分親と子は離れて過ごし、子は自ら友人を作って外に遊びに出るわけなのですから。
タイトル回収
この記事のタイトル「誰が為に介護は成る」は、お気づきの方もいるかと思いますが「誰が為に鐘は鳴る」をもじったものです。
誰が為に鐘は鳴るとはアメリカの戦争映画のタイトルで、原作はヘミングウェイの小説です。お気づきになった方はこの映画や原作小説を想像されたかと思いますが、今回のタイトルに使ったものはさらに小説の元ネタである詩の一節で、キリスト教のおしえに基づき詩人が説教に使用した聖句です。
この誰が為に鐘は鳴るという聖句に込められた意味とは、「個人は人類の一部であり、他の人の弔鐘はあなたのためにも鳴っている」です。
これを誰が為に介護は成るに転用すると、
「どの個人もすべての人の一部であり、他の人の介護もあなたのために成っている」
つまり、家族のために介護サービスを使ったのだとしても巡り巡ってあなたのためにあるのだ、という解釈をして当てはめてみました。
正直、キリスト教のことはよくわからないし、あまり深く考えてタイトルを決めたわけでもないのでふんわりそんな感じ、と感じ取っていただければ幸いです。



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