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【シリーズ】貧困層の介護1-貧困と制度-

介護現場のリアル

この日本国において、誰しもが必要なときに、どんな人であっても介護が受けられるのは当然の権利とされています。一定の年齢を超えているか特定の疾病があり生活に支障がある場合には介護保険、それ以外は障がい者支援などの社会保障を受けられる仕組みがあります。

さて、これらの社会保障は受ける権利が誰しもにありますが、「受けない」選択をするのも自由です。富裕層の中にはこの公的サービスを使わずに専属の看護師やお手伝いさんを雇ったり、高級老人ホームと呼ばれる中でもさらに飛びぬけたレベルの一流ホテルも真っ青なゴージャス施設に入居することもあります。
有体に言えば、「金さえあればなんでもあり」なのです。大なり小なり欲のある人間は札束で頬を叩かれれば喜んで尻尾を振ってしまうのです。私だって大金持ちの要介護者に札束を鼻先にぶら下げられたら、謹んですべてのスキルを捧げる自信があります。

では反対に、介護を受けたくても受けられない人、すなわち

「金のない人間」である貧困層と呼ばれる人たちはどうするのでしょう?

介護という社会保障は受ける権利が必ずありますが、受けなくてもいい権利も同時に有します。あくまで権利であって義務ではないのです。
要は詭弁に近いのですが、困っていたとしても適切な支援の手が入るとは限らない、という矛盾を秘めています。

この「貧困層の介護」について実際に現場で見聞きしたことや体験したことをお伝えしていくわけですが、かなりボリュームが出てしまったため数パートに分けてシリーズとして公開していこうと思います。

今回はちょっとお堅い話になりますが、今後のお話のベースとなっていく部分ですのでどうぞ最後までお付き合いください。

納税していないと介護を受けられない?

まず前置きとして仕組みのことを少しお話させてください。

社会保障費は制度によって変動がありますが、基本的には国と自治体のそれぞれが負担していると考えてください。出てくる財布が別々というだけで、我々一市民にとってはいずれにせよ税金や保険料から出ていることは変わりません。
医療費制度と同様にみんなから少しずつ少しずつ?税金や保険料を集めて困っている人に配分するという仕組みですから、いつか自分も世話になる時が来るかもしれないとみんなが考えているから高い税金も仕方なく払っているというわけですね。

では、介護を受けるためにはそれまで納税の義務が果たされていることが必須条件かと思われるかもしれませんよね。

実のところ、そんなことはありません。

いくら税金を納めていなかろうが、年金を払っていなかろうが、保険料が未払いであろうが、それはそれ。これはこれ。ということで社会保障を受けることは可能です。

貧困層のそのまた、底

貧困と一口に言ってもそれなりに幅があるのはご存じでしょうか?様々に呼称され区分けされていますが、大別するとこの3種類に分類されています。

「低所得者」は、年収300万円以下

「ワーキングプア」は、年収200万円以下

「相対的貧困」は、年収127万円以下

この三つの段階のうち上ふたつ、低所得者~ワーキングプアは現在の日本社会においてしばしば問題にされる貧困であり、もっとも数の多い貧困であると言えます。

三つ目の相対的貧困とは、日本人の平均的な生活水準に達するために必要な収入の半分以下の収入である層を指します。

これから主にご紹介していくのはこの「相対的貧困」に該当する、収入が127万円以下で生活する人たちにとっての介護についてです。
127万円と聞けば約月10万円程度の収入があるケースも当てはまるため、少ないながらも多少の収入があるのではないかと感じられる方もいるかもしれません。

しかし実際のところ、127万円「以下」なので、収入がゼロという人もここに含まれています

結局金なのか?

これまでお伝えした通り、介護を受けることは社会保障として当然の権利として保障されています。そしてそれまでの生活の中で如何に国民の義務を果たさなかったとしても、極端な話”世捨て人”としてまったく人の営みに関わってこなかったとしても、すべからく介護を受ける権利をすべての国民が有しています。

しかし、その保障の手から零れ落ちてしまう人が実際にいるのもまぎれもない事実です。

それはなぜか。

少子高齢化、介護の担い手不足、財源の不足、核家族化や生涯独身率の増加・・・さまざまな要因が考えられるのですが、私個人の意見として考えている原因のひとつが「窮すれば鈍する」ということばです。

手遅れになる前に「助けて」と適切な人に相談できていれば、自分で情報収集ができる人であるならば避けられるはずだった最悪の結果、負のループに陥ってしまった果てに社会保障の手から零れ落ちてしまうのです。

貧すれば鈍する

手元にお金があるとき、あなたは何を考えるでしょう。
旅行、美容、自己研鑽、勉強や資格取得、投資、ランチやディナー、洋服を買う、趣味に使う、貯蓄・・・人によってさまざまでしょう。

では、仮にあなたが今日の食事にも困る状態にあるとき、その手元にあるお金は何に使いますか?
その状態の人のほとんどがこう答えるでしょう。

今日、生きるために使う」と。

今日を生きるということ、それはつまりお腹を満たすことで、食事もままならないような人間に明日を考えることはとても難しいことです。

想像してみてください。

手元には百円にも満たない小銭しかなく、お腹がすいてお腹がすいて仕方なく、しばらく水もまともに飲めていないから頭もぼーっとしている。お金に換えられそうなものはすべてとっくに手放して、何もすることもなく動く気力も起きずに、ただじっと体を横たえてひたすらに虚空を見つめて時間を過ごす。

少し考えれば行政や何かしらの支援団体に助けを求めればいいのに、と普通の人は考えます。ところが、ここまで極限状態に陥った人間にとってはこの「少し考える」作業すらままならなりません。この状態こそが「貧すれば鈍する」ということなのです。

これは”日本”で起きている本当の話

一応先進国と呼ばれる日本にあって、ここまで極端な貧困はないだろうと思われる方もいるでしょう。しかし残念ながら極端な貧困者、介護を受けることができない貧困者は確実に存在しています

そこから人間らしい暮らしに戻れた人自ら戻らないことを選択した人戻れなかった人、さまざまなケースに出会いました。ハッピーエンドもバッドエンドもどちらも経験してしまいました。

崩壊しかかっている今の世界に一石を投じる、とまでの壮大なことは言いませんが、いつか自分や周りの人がそうならないとも限りません。解決手段の話をし始めると政治の話になってしまうため、基本的には触れずにあくまで実態と少しの持論で収めていこうと思います。

ただ「日本のどこかにこういう環境、人間がいるのだ」と記憶に残ればと思いこのあとも書き進めていくため引き続きお読みいただけるとうれしいです。

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